ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

第21回最優秀賞ナムというパトロンがカンボジアから手を引くことができたのは、カンボジアがプノンペン政権とポル・ポト派という均衡の上にUNTACを受け入れることになったからであり、UNTACとしてはいくら協定違反があるとはいえ、安易に中立性(少なくとも、外観における中立性)を放棄できる場面ではなかったのである。2シアヌークの存在また、UNTACの活動においてはかけがえのない調停者として、随所にシアヌークの存在が決定的な役割を果たすが、彼が国民統合の象徴として決定的な役割を果たすことができたのも、プノンペン政権とポル・ポト派という均衡が維持されていたからである。言い換えれば、プノンペン政権に対抗する存在としてのポル・ポト派は、シアヌークが発言力を維持する上で不可欠であった。選挙後にシアヌーク提案が受け入れられたのも、彼のリーダーシップが必要な状況であったからである。中立性を標榜してポル・ポト派に軍事的措置をとらなかったUNTACの判断は、結果的にではあるがプノンペン政権とポル・ポト派の均衡を維持してシアヌークの発言力を高め、それが第二章でみた選挙後の連立政権樹立を可能にした。シアヌークの発言力がポル・ポト派の存在を前提にしていたという主張は、選挙後の新生カンボジアの推移を見ても裏付けられるように思われる。即ち、ポル・ポト派が弱体化するにつれ人民党のフン・セン氏が力をつけ、1997年にはクーデターを起こしてフンシンペック党首のラナリットを事実上国外追放した56。結局ラナリットは有罪とされた上でシアヌークの恩赦という形で帰国して事態は収拾したが、ポル・ポト派抜きのカンボジアでは必然的に人民党の力が強まり、それに応じてシアヌークやラナリットらの存在感は薄れていくという構図がみられるのである。UNTACが中立を標榜してプノンペン政権とポル・ポト派という現実の均衡を受け入れたことは、シアヌークというカンボジア政治の統合者がそのカリスマ性を発揮する上で必要なことだったのである。56 日本では1997年の事件は武力衝突や政変と表現されているが、国際的にはむしろフン・セン氏によるクーデターととらえられている。水本和実「UNTACの成果と新生カンボジアの課題」広島市立大学広島平和研究所編『人道危機と国際介入』(有信堂2003年)、p.190371