ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

第21回最優秀賞政権を倒す必要があったことからベトナム労働党と共闘関係を維持したが、1975年4月にプノンペンを陥落させて実権を握ると、かねてから不信と反発の感情を抱いていたベトナム共産勢力をカンボジアから一掃し、「ベトナムの手先」として粛清しようとした。こうして1975年から1979年の間、毛沢東主義を思想的な背景とするポル・ポト政権の恐怖政治によって国内で少なくとも100万の人が虐殺されることとなる。このポル・ポト派の支援者となっていたのが中国である。そこには親ソ的な動きを見せるベトナムを牽制するためにポル・ポト派を支援するという中国の思惑があった。一方、ベトナムは中国のポル・ポト派支援によって自らの安全保障に深刻な脅威を感じるようになったから、自衛を主張してカンボジアに侵攻し、ポル・ポト政権を倒してヘン・サムリン政権を成立させた。以降この流れを汲む人民党のプノンペン政権は、ベトナムをパトロンとして行動する。しかしベトナムの力で政権を掌握したヘン・サムリン政権は多数の国の承認を得ることはできなかった。その理由としては、おりしもベトナムを支援していたソ連が1979年12月アフガニスタン侵攻で国際社会の強い反発を受け、また80年代の国際世論には反共色の強い米国のレーガン政権、英国のサッチャー政権が強い影響を及ぼしていたこと、アセアン諸国と中国がベトナムに対して地域派遣主義として強い警戒心を持っており、その観点からベトナムの影響力増大に強く反対したこと、ベトナム自身長くカンボジアに進駐し、またカンボジアに樹立したヘン・サムリン政権が傀儡であることが明らかであったこと、などが挙げられる54。こうして、カンボジアの内戦を冷戦期における代理戦争という観点から観察すると、1979年以降、主に中国が支援するポル・ポト軍対、ソ連・東欧ブロックが支援するベトナム軍とヘン・サムリン軍の対立、という構図が浮かび上がる。さらに、1982年になると、ポル・ポト派の「民主カンプチア」亡命政権だけでは、とても国連の議席を維持し、国際社会の批判をかわせないと判断した中国、ASEAN諸国および西側諸国が、援助と引き換えに強引にポル・ポト派、シアヌーク派、ソン・サン派の三派を連合させた。これに54大沼保昭『人権、国家、文明』(筑摩書房、1998年)p.107369