ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

第21回最優秀賞政権に依存していたかを見ていく。結論からいえば、行政機構の実効的支配を担っていたプノンペン政権に対しては、行政官の汚職腐敗を見逃すなどUNTACも必然的に妥協を余儀なくされていた。それはとりもなおさず、UNTACの中立性が揺らいでいた場面ということができるだろう。選挙前の対応1まず、UNTACは、ポル・ポト派が各地で軍事力を行使するたびごとに、プノンペン政権による反撃を認めている。明石氏はその際、「UNTACがプノンペン政権の肩を持ち、それとぐるになっていると思われるのは厳に避ける必要がある23」と述べて中立性の維持に気を配っているものの、この対応は現実的にポル・ポト派に対抗できる軍事力を有するのはプノンペン政権のみであるという判断に基づいたものであった。その点、紛争4派どの会派とも等距離をとったかという意味では中立だったということは困難である。また、明石氏は、ベトナム系住民をトンレサップ湖から移動させる際にUNTACとプノンペン政権との分業を協力がうまくいったことを挙げて、プノンペン政権のフン・セン首相に対し、選挙の成功に向けての協力を訴えてもいる24。UNTACがプノンペン政権を重視するこのような姿勢は随所に見られ25、現実の行政機構を握るプノンペン政権との協力がUNTACの活動成功の必須条件だと考えられていた。さらには選挙実施に際しても、UNTACは選挙妨害をたくらむポル・ポト派が投票所に近づけないように、隣接地域をプノンペン政権軍に警備させている26。これらの点を見ても、UNTACが現実の行政機構をもつプノンペン政権に頼らざるを23『中央公論』94年3月明石康「カンボジア日記」p.16524『中央公論』94年3月明石康「カンボジア日記」p.16525 明石氏は1993年5月10日、プノンペン政権のホー・ナムホン外相がUNTAC事務所に来訪した時にも、プノンペン政権に対して、対ポル・ポト派自衛権行使を認めることを再確認し、選挙を控えて協力について話し合っている。『中央公論』94年3月明石康「カンボジア日記」p.175参照。26 明石康明石、前掲書p.80もともとUNTACは文民行政機関の直接管理を目指していた。パリ協定によると、具体的には外交、国防、公安、財政、情報の5つの行政部門を直接管理することとされていた。しかしこれらは自由で公正な選挙を実施するために中立な政治環境を保障していずれの会派も選挙目的のために行政機関を利用できないようにしようとの意図をもっていたが、実際には人民党がその選挙キャンペーンに警察官や軍隊、公務員といったプノンペン政権の国家機関を利用していたことが明らかになった。しかしUNTACによる行政機関の直接管理はできなかった以上、UNTACの文民行政部門は管理チームによる各派の選挙運動の監視にその任務を集中することに軌道修正した。この文民行政機関の直接管理の失敗は、UNTACがプノンペン政権寄りだと批判される大きな原因である。一柳直子「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)活動の評価とその教訓――カンボジア紛争を巡る国連の対応(1991―1993)(1)」『立命館法学』第252号(1997年第2号)、pp.576-577355