ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

の衝突を経済制裁等の平和的手段でしか解決出来なくなってしまえば、本来『国家の時代』は継続されてしかるべきであった。にもかかわらず、今や『国家の時代』の終焉は現実のものとなりつつある。戦争という牙をもがれた国家はその威信と求心力を低下させ、結果、人々は自国の平和以上に世界の平和を、また国家レベルの利益以上に地球レベルの利益を希求し始めた。「王」の為に、また「神」の為に戦って死ぬことが愚かだと悟るまで、人類がどれほど多くの血を流してきたか考えてみればいい。そして今、二度の世界大戦という大きな犠牲を払って、多くの、とりわけ先進諸国と呼ばれる国の入々は、「国」の為に戦って殺すことも死ぬこともまた同様に愚かであるとようやく気が付き始めた。しかし、忘れてはいけないのは、権威と権力の総量は永久に不変だということである。皇帝の権威・権力が教会に移り、教会の権威・権力が国家へ移ってきたように、制限され削減された権威や権力は必ずどこかへ移動して新たな戦争や紛争を招いてきた。大きな代償を支払って手に入れた「戦後」というつかの間の平和も、いつか必ず新たな「戦前」に転化していった。私が本稿で主張するのは、この無限の連鎖、永遠のイタチごっこを、せめてモグラ叩きに替えられないかということである。つまり、国家の次に新たな戦争や紛争を招く危険性のある権威や権力に対して、私達は先手を打って監視の目を光らせるべきなのである。但し、『言うは易く、行うは難し』とはまさにこのことである。何故なら、それは常に過去の不幸を乗り越える平和への新たなアイテムとして登場するからであり、さらにそれがいつの間にか批判されなくなってしまうからである。批判されないもの・批判出来ないものを警戒せよと言うのだから難しいのは当たり前である。ここでも発想の転換が必要である。すなわち、それが批判されていないのは、未だ戦争や紛争を引き起こしていないから、さもなければ戦争や紛争を引き起こしていてもその原因と認識されていないからにすぎないと考えるべきなのである。260