ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

第29回優秀賞たと指摘する13が、同様のことがイラク北部への人道的介入の「成功」にもいえるだろう。一方、課題も残った。第一に、安保理決議における脅威認定が不明確であった。安保理決議688では、国内における文民抑圧それ自体ではなく、「国境を越えた難民の大量流出と越境襲撃」が国際の平和と安全に対する脅威を構成すると認定されていたのである。内政不干渉原則の例外を許容できるかという論点に関する苦心の跡がみられるが、曖昧な認定であるとの批判は免れなかった。第二に、安保理決議における軍事行動の授権がなかった。武力不行使原則の例外として自衛と安保理決議の授権を得た多国籍軍(国連憲章の本来の趣旨は国連軍の創設だが、この点は議論されなくなってきている14ため割愛する)のみが認められている以上、少なからぬ批判を惹起した。第三に、国際刑事裁判が行なわれなかった。当時、ドイツのゲンシャー外相はフセイン訴追の可能性を積極的に模索したが、実現しなかったのである15。この点に関しても、不処罰文化が蔓延するとの批判を免れなかった。しかし、国連は、これらの課題を教訓とし、次の機会に活かした。脅威認定の問題に関しては、1992年の安保理決議794において「ソマリアの紛争によって生じ、人道支援の分配の際に起こる妨害によって一層悪化した人間の悲劇の規模の甚大さ」自体を脅威認定した16。多国籍軍への軍事行動の授権に関しては、1999年のコソボ介入を除き、安保理決議による授権がなされるようになった17。安保理をバイパスして行われたコソボ介入の印象が強いが、ほとんど全ての事例で軍事行動への授権はなされているのである。そして、国際刑事裁判に関しては、1993年のICTY・1994年のICTRといったアドホックな国際刑事裁判機関の設立を経て、1998年には常設のICCの設立が決定された。教訓となったのは、イラク北部ばかりではない。ソマリアでは、1993年3月より領域国の同意を必ずしも必要とせず自衛を超える武力行使を行なうという冷戦期では考えられなかった平和強制型PKO(UNOSOMⅡ)が展開した。しかし、中央政府不在の混沌を残したまま撤退を余儀なくされた。1992年3月以降のボスニア(とりわけ1995年7月のス13藤原(2001)pp.110-11を参照。14香西(2003)p.221を参照。15Power(2002)p.481,490を参照。16もっとも、その後の安保理決議では、明らかに時期を逸していたルワンダ介入において「ルワンダにおける人道危機の規模の甚大さ」(安保理決議929)が脅威認定されたほかは、「東ティモールの状況」(安保理決議1264)などのように抽象的な形での脅威認定にとどまっている。とはいえ、国内の状況を十分に含む表現であり、「国境を超えた」としていた安保理決議688のような曖昧さはない。17およそ人道的介入とは言い難い2003年のイラク戦争は、本稿での直接の検討の対象外である。1025