ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

す。米ソ対立については、1946年3月にチャーチルがフルトン演説で東西対立が既にあらわになっている事実を「鉄のカーテン」という言葉で象徴的に述べている。そして、翌年の1947年には米ソ対立は決定的となり「冷戦」という言葉が使われ始めるのである。この対立の根本は、資本主義国と共産主義国とが再建されるべき戦後世界の指導理念について同じ「民主主義」を唱えながら、その意味内容が全く異なったこと、即ち端的に言えば、保守的議会主義的民主制と社会変革を伴う全体主義的な民主集中制との相違にある2。かくして、冷戦という国際対立の特徴は、1資本主義対共産主義という社会体制・イデオロギーの対立であること、2東西陣営間の全世界的規模の対立であること、3核兵器による威嚇を伴う対立であること、という三つに要約されよう3。このような特徴をもつ冷戦は、世界的規模の核戦争による人類滅亡の危機を孕むものであり、且つイデオロギーの対立でもあることから和解しがたい性質のものであった。冷戦がこのような性質を有するものである以上、国際の平和及び安全維持を目的とする国連にとっては、冷戦緩和こそが重要な課題とも言える。しかし、冷戦当事国が国連の集団安全保障体制の中核をなす安保理の常任理事国であるが故に、冷戦の解決どころか逆に、拒否権発動による国連の安全保障体制の機能麻痺を引き起こしたのである4。仮に、武力攻撃が生じても、それが東西対立に関係するものであれば、攻撃陣営側の常任理事国による拒否権発動が行われ、何事も解決できず事態は放任されてしまうのである。国連の集団安全保障体制による強制措置を発動すべきであった武力紛争は、1956年のハンガリー動乱、1964年から73年までのベトナム戦争、1979年のソ連のアフガニスタン介入、1980年のイラン・イラク戦争など枚挙にいとまがない。しかし、これらの場合、ついに強制措置の発動は行われなかった。東西対立緩和前に国連による軍事的強制措置が発動されたのは、ソ連の安保理欠席中に勃発した1950年の朝鮮戦争が唯一の例であるという事実は象徴的といえよう。ところで、冷戦の影響は集団安全保障体制の機能麻痺にとどまらない。事実上の軍事同盟まで出現させたのである。既に1945年のサンフランシスコ会議において、常任理事国の拒否権制度の導入により国連の集団安全保障体制はうまく機能しないことが予想されており、その実効性782小田・石本・寺沢編・新版現代国際法357頁(寺沢一執筆部分)(昭和6)有斐閣。3村川・江上他編・世界史小辞典711頁(寺沢一執筆部分)(昭和61)山川出版社。4前掲・国際法概説261頁。