ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

第15回優秀賞の不拡散」と「自国の輸出規制に関してはケース・バイ・ケースで対応する」という苦しい大統領指令がなされている。実際に最近では再びスーパーコンピュータに対する規制が強化され、また暗号の輸出規制の是非をめぐって政府と産業界との対立が再び激化した。このように、米国の輸出規制政策は対外的にも、対内的にも、一貫性の低い非常に流動的なものであると総括できる。これは経済と安全保障体制をいかにバランスをとるかという問題の難しさを示しており、他の輸出国も多分にこの要素を抱えていると見ることができるだろう。<ロシアの軍備輸出に関する政策>それではここでロシアの軍備輸出政策について見てみよう。冷戦期のソ連にとって兵器輸出とは石油に次ぐ重要輸出品目であり、長い間兵器輸出において第一位を維持してきた。そしてこのような状況はペレストロイカにともなう軍縮、冷戦体制の崩壊など様々な要因によって大きな影響を受けてきた。冷戦期における兵器輸出は米国と同様に外交的な色合いが強く、また冷戦後においても西側との協調にともなう輸出規制の必要性と、雇用の維持や兵器輸出の経済的効果のために規制の撤廃を求める国内の強い要求との深刻なジレンマに立たされることとなった。冷戦期(特に1970年代から1990年初頭)のソ連の兵器輸出は米国に対し1.8倍と、圧倒的な優位を保っていた。その内訳を見ると、インドやアフガニスタン、イラクに対する輸出が上位を占め、発展途上国に対する輸出においては米国の2.8倍ものシェアであった。特に中東においては80年代中盤までソ連の武器輸出の80%を占めるに至った。このように冷戦期においては外交的な要素が強い輸出政策だったが、89年の東欧革命、91年のワルシャワ条約機構の解消により大きな転換を迫られることとなった。冷戦が終結し、同時に地域紛争の脅威が増したことで、国際社会は兵器輸出に新たな規制を求めはじめていたのである。これにより顧客の多くが国連の規制対象国に指名されたソ連は主要な貿易相手国を失い、輸出総額の首位を米国に奪われた。加えて西側との協調外交に対応して軍縮にも取り組まざるを得なくなり、CFE(欧州通常戦力条約)に沿って既存の兵器を大量に705