ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

第11回佳作内戦が頻発し、抑制や差別が一層激化し、新たな紛争や内戦の火種が燻っている。私が40年前から仕事でしばしば訪れている東南アジア諸国では、先進諸国との経済や社会の格差が次第に拡大し、国内における貧富の差も深まり、都市化とスラム化が急速に進展しつつある。また、環境や自然の大規模な破壊が進んでいる実状を目のあたりに見ると、なぜ我々人類は地球上の微妙な調和を保っている自然さえも犯して行くのであろうかと嘆かざるを得ない。そして、人類は今後も益々愚かになり、さらに多くの罪を重ねて自らを傷つけながら、自ら滅んでしまうのではないかという不安を感じる。私は、国連の過去の功罪をふりかえり、人類の愚かさと罪の深さに立脚して、国連の抜本的な改編案を提出しなければならないと考える。Ⅲ.国連の功罪(1)国連は創立時に既に磋趺していた米国国務省は、既に1939年から戦後問題の研究を開始し、日米開戦と同時に政府・上下院議員・民間識者による戦後外交政策諮問委員会を発足させ、戦後の世界の安全保障に適合すると共に国際正義の理念にも合致する国際政策を検討していた。第二次世界大戦後の国際平和機構に関する予備的な意見交換は、1941年ルーズベルト大統領とチャーチル首相との会談から始まった。その後、国連創立のための準備会議が米英ソ中によって行われ、国連の組織と機能、特に重要な安全保障理事会の権威・権限・票決方法も併せて決定した。次いで、米英ソの首脳による1945年2月のヤルタ会談で、当面する対独日戦略と共に国連創設に関する合意が成立した。1945年4月から開かれた国連創立会議では、特に、仏国を含む五大国が提案した安保理の権威・権限・票決方法に対して他の中小国が反発し、激論が交わされた。その結果、一般的な安全保障と集団的安全措置に関しては、総会に審議権と勧告権を与えることと247