ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

間を振り返るという作業は、私自身の人生を取り巻いてきた環境を振り返ることでもある。私は、国際政治や安全保障、国際経済や組織論に関する専門家では決してなく、本稿は学術的には決して評価されるものではないであろう。しかし、20年という世界の変動を何の専門的知識を持たない「裸眼」で見てきた私なりの解釈を公にし、私とほぼ同じ「歳」にあたる国連大学の役割を世に問うことは、多少とも新たな議論を起こす可能性があり、その意味では有益なことであると思っている。世の中を何も知らない学生が何を言うか、と言われる向きもあろうが、私の見解を多少なりとも読んで頂ければ、望外の幸せである。2近年の世界変動の中身-二つの指導理念の提示2-1.「安全」の中身の変容-「共通安全保障」ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が消滅するまでの間、世界の注目は、米・旧ソ2大国間の緊張から「第三次世界大戦」なるものが勃発するかもしれないという危険に注がれていた。1962年のキューバ危機、1979年のソ連軍アフガニスタン侵攻に象徴されるように、戦後何度か東西両陣営間の緊張が高まった時期があった。しかし、「第三次世界大戦」勃発なる不安は、1985年以来の世界政治の変動と共に、どこかに消えてしまったようである。大国間で大規模な全面戦争が起こることを危惧している人は、ほとんどいないであろう。しかし、冷戦が終結した今、その「第三次世界大戦」の危惧に代わって、新たな「世界的な脅威」が登場しつつある。そして、この「世界的な脅威」は、人々の不安、公の議論、国際会議の議題の対象とされるようになっている。「地球的問題群」と言われるものである。従来の安全保障観における「安全」とは専ら、「国家」にとっての「軍事的」安全に他ならなかった。伝統的な見方によれば、国際社会においては、国家のみが唯一の行動主体であり、その現われとして、伝統的な国際法の下では、国際法上の主体性を有するものは、唯一「国家」のみであると、多くの国際法学者は考えていた。このように国際社会とは、専ら国家と国家との対抗関係である、とする世界観によれば、国際社会における利益・損害の帰属主体となりうるべきものは、当然国家以外に考えられなかったのであり、国家に214