ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

ページ
196/912

このページは 佐藤栄作論文集9~16 の電子ブックに掲載されている196ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

佐藤栄作論文集9~16

成功したケ-スであろう。UNTACの決定はカンボジア四派で構成する最高国民評議会(SNC)に優先すると規定されていたが、国の統治は主にプノンペン政府が行い、それをUNTACが管理するという形がとられた。意見の食い違いも数多く存在したが、実際問題としてカンボジア側の協力なしに成功は不可能であるという認識があってUNTACは無理な自己主張せず、その結果各勢力からの信頼を保ちながら和平を押し進めることができた。一方でポル・ポト派の武力行使には断固とした姿勢で対応し、彼ら抜きの選挙に踏み切ったのも混乱を避ける上では効果的だったと思われる。四派の武装解除、総選挙の監視、地雷の撤去、道路の整備などを目的として活動を開始したカンボジアPKOの最大の障壁は軍備解除に応じず、反ベトナムを旗印にあらゆる方針に反対したポル・ポト派と権力の縮小に抵抗したプノンペン政府(人民党)の干渉であった。それでもカンボジアPKOが大きな成果を上げることができたのは、市民がUNTACに絶大な支持をよせていたからである。ポル・ポト派はベトナム系住民の虐殺やUNTACの人員に対してのテロを起こしたりしたが、一般の共感を得ることなく、首都入りしたキュー・サムファン議長が投石を受けて頭から血を流している写真はいまだ記憶に新しい。政府軍の追撃に加え、彼ら自身にも闘争目標を見失って投降する兵士や下士官が続出しており、ポル・ポト派が衰退期に入りつつあることは彼らも否めないであろう。警察、軍、そして地方の自治組織を支配下におく人民党の選挙干渉や他派への弾圧にもかかわらず選挙はほぼ民意を反映した。旧シアヌーク派のフンシンペック党が第一党になったので人民党が選挙結果を認めないのではないかという懸念もあったが、権力者といえども民主主義の流れには逆らえなかったのである。93年9月にシアヌークがカンボジア王国の王として再即位し、イギリス型立憲君主国家としてカンボジアは復興した。将来の課題として人民、フンシンペック両党のバランス、そして結局選挙に不参加を決め、今日も反政府活動に従事しているポル・ポト派の問題が残されたが、それはカンボジアの新政府の仕事であり、UNTACはその使命を終えたといえる。だがこれからもカンボジアの安定化のため、国際社会はいろいろな面で援助をし194