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概要

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スラムに入って働く学生が少しずつ増えてきていると彼地で聞いた。このような動きはまだ始まったばかりで、その成果を評価するにはまだ早過ぎると言わねばならないが、まずまずのスタートを切ったようである。本来的には教育は家庭か学校で行われるものであろうが、それぞれの社会に固有なインスティテューションによっても教育が補完的に行われる可能性があることを、フィリピンのもうひとつの例はよく示している。フィリピンはアジアで唯一のキリスト教国であり、人口の約9割がカトリックである。従って、開発の問題においても教会は社会的責任を負っており、このことを教会もよく認識している。人格の尊厳に基く人と社会の発展は教会にとってもやはり重要な関心事である。フィリピンの教会内部にも様々な異なる見解が存在するようだが、あるグループは「基本的キリスト者共同体」(BasicChristianCommunities)をその活動の軸として、特に信徒を対象にして意識化をはかっている。これは生活共同体の色彩が強く、生活の中での体験・困難などを遠慮なく話し合い、互いの接触を通して現実の共通の理解に向って,相互に努力する場のようである。彼らは、自分たち白身を対象に、あるいは外国人をも対象にして、いわゆる「エクスポージャー・プログラム」ExposureProgrammeを企画し、実行してきた。これは経済・社会問題についてのいくつかの講義の他に、参加者を実際に何E]間かスラムの何軒かの家に分宿させ、その生活を体験させるというものである。その後で、スラムによく通じているソシアル・ワーカーをはさんで、プログラムの参加者たちが体験をふまえて討論する。講義一体験・行動一討論・反省、この繰り返しがプログラムの骨組みと言えよう。以上、途上国におけるケースを見てきたが、このような教育は、言うまでもなく先進国においても行われなければならないだろう。まずは自国内の貧富の格差が、あるいは基本的人権の侵害が問題となるかも知れない。しかし、それと同時に、地球的規模における貧富の格差,人間の尊厳に関する問題が提起されなければならない。先進国に住む人間が途92