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概要

satoh

ね前者であり、近代化、工業化のためのより直接的な手段として教育を把える考え方がその根本にあろう。言わば「殖産興業」のための教育と言えるかも知れない。本稿では、まず第一章において前者の意味での開発教育をとりあげ、続いて、第二章において、後者の開発教育を意識化のプロセスとして把握、分析することにする。更に、第三章において、開発教育の具体化について考え、第四章においては、国際的展望において開発教育がいかなる役割を果し得るかについて論及したいと思う。第一章、開発のための教育としての開発教育発展途上国にとっての究極の問題は自国経済の低開発性とその結果としての貧困である。とりわけ、資源を特に持たない途上国にあってはその状態はなお一層厳しいものとなっている.そのような、いわゆる非産油国系の途上国が豊富に有しているただひとつのものが人的資源である。従って、その人的資源をいかに活用できるかということにその国の運命がかかっていると言っても過言ではない。このことはまさに豊富な人口以外に何の天然資源も持たなかった日本の例においてすでに示唆されているところである.人的資源の有効な、そして正当な活用のための根本的な施策は教育であり、日本の明治政府もこのことにたい-んな力点をおいたことは周知の通りである.このように教育がいわば発展のためのインフラストラクチャーであることは一般にも広注2)く受け入れられているところだが、経済学者のキンドルバーガー教授もその著書の中で、「貧しい国々における発展につながる努力の鍵は人的資本の形成にある」とし、その人的資本形成のための投資のひとつの型として学校における学習をあげている。更に同教授の主張で興味を引くのは次のことである。「学校における公式の学習に参加する者は.自ら注3)の将来における生産性を向上せしめつつ、行為を通して消費価値を引き出す」。この考え方は学校教育において、まずきわめて基本的な水準でありながらも自らを一個の経済主体として認識することが可能であることを示唆していると思われる。ただ残念なことに統計を見る限り、このような教育に与っていない子供がたい-ん多く、その数は約2億5000万84往2)HECONOMICSOF DEVELOPMENT'3rd.Ed.Ch.P.KINDLEBERGER.B.HERRICK.PP.loョ往3)ibid.