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概要

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「今後の国際社会における国連大学の役割と日本」海妻矩彦1.はじめに1969年故ウ・タント元国連事務総長は、人類の発展と福祉に係わる緊急の国際的諸問題を国連独白の立場から研究する機関として、国連大学の設立を提唱した。これは1973年の国連総会における国連大学憲章の採択として実り、さらに当時の日本国首相の故佐藤栄作氏の熱心な誘致運動があり、遂に1975年に東京に国連大学本部が開設されたのである。以来10年が経過し、現在も国連大学は年とともに発展を続けている。 2代目学長スジャトキコ氏の下に28名の理事がいて活動の基本方針が決定される。現在は、4つの部門すなわち、開発研究部門(課題を地方・国の単位で研究する)、世界研究部門(課題を地域・世界のレベルで研究する)、世界学習部門(成果の伝達・普及を行う)および対外開発部門(大学の機構・施設の拡充を担当する)と1つの直属研究所すなわち世界開発経済研究所(WIDER)を持ち、その外に60カ国以上にわたる地域に点在する提携機関・協力機関と密接な研究・研修活動のためのネットワークを持っている。そこでは5つのテーマの下に9つのプログラム領域が設けられ、数多くの具体的研究課題が採択され追究が行われている(後述)。研究・研修活動のための予算は主として各国から拠出された国連大学基金の利子が充てられるが、発足当初の1977年度には611万ドルに過ぎなかった予算が1985年度には3630万ドルにも達しており、約6倍に伸びた。このことは国連大学の事業が定着し順調に発展していることを示している。Lかしながら、一方において最近の国際情勢は、米ソの軍拡競争の再燃、中東紛争の激70占