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概要

satoh

第4回佳作もはや、言葉ではなく実行の"時"である。四、文明と文化私は本稿の終章にあたって、どうしてもはっきりさせておかなければならないと思うことがある。それば`文明"と"文化"のそれぞれの語意についてであるoそこでまたしても広辞苑を手にして、今度はかなり長文をもってする、山文明"川文化"それぞれの説明を読んだが、その説明は相互に入り交じっていたり、或いは表裏をなしていたりで、正直言って両者の関係は暖昧模糊としたものであった。ただ僅かに両者を端的に区別しているのは、"文明"の皮相性、無性格性に対置して、=文化"の根源性、統一性を挙げているくらいのことであったOでは、それで私が納得したかと言うと、決してそうではない。もし私をして、その説明の補足を書くことを許されるならば、私は「科学技術など、いわゆるノ、-ドな面に支えられた、物質本位の近代社会を文明社会と言い、特定の坐活理想とか、人類の英知とか、道徳、芸術などと言った、ソフトな面、或いは人間本来の心の面での近代社会を文化社会と言う」と、書くだろうと思う.それともうーっ、辞書が、山文明"の語意の対称語として、"豪昧""野蛮"の語を挙げているのを見て、私はふと首をかしげたのである。それは、蒙昧とか野蛮とかと言った言葉が、何を基準にしての言葉であろうかと言うことについてである。今仮に、人間が虎と戦ってこれを倒したとすると、人間はその人を勇敢な人だとたたえるであろうが、反対に虎が人間を噛み殺した場合、人間はその虎を樺猛な虎だと言うに違いない。虎の側から言えば迷惑千万な話しだと思う。同様に、自分では文明社会の人間だと思っている者が、もし他を指して、豪味な人間だとか、野蛮な社会だとかと格付けするようなことは、甚だ高慢不遜なことであると思う。こ甲ように、常に優位に立っているかに見える者が、自分を基準にして他を位置づけるとか格付けすることには大きな間違いがあり、再考三考すべきであると思う。493