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概要

satoh

第3回佳作歩も外に出ない。郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導までも、引責辞職したという。丸山氏は「H国休"忙おける臣民の無限責任」として例示されたので、それはその通りであるが、あの責任のとり方は、内閣以下、当時の人々の頭脳の中にあった「合理」の追究だったのではないか。合理の体系がいかなるものであるかは、時代にもより、個々.人の知識の量による。しかし、他の欲望・悪意に勝って、合理に従うか否かの克己-とtnうか、倫理というか、そういう処し方はもっと人間の基本的な問題であると思うOそしてこれは、いま、欧米人の「二つの原理」を批判する私の立場に通じている。欧米人が外交をかけひきと見、そのように振舞ったのは、長い歴史や彼等の性向の所産であろう。そして彼等が先進民族であったために、われわれも他の後発国もそれを見習った。その結果、いまも欧米流のやり方が踏襲されているけれども、これを見直さなければならない段階に来ているのである。実をいえば、国連憲章を作ったことが既に、当初から、古い欧米外交からの離脱を意味していたのに、それに気付かなかったのである.今や「論理」は別の方面からも、非・自然科学の問題に擾透しつつある。それはコンピューターの普及である。コンピューターは命題の論理・非論理を判断する。約束を少しでも守らないプログラムが働かないことも、事務系の立場の人々も経験するところとなった。だから時代の要請として、あくまで合理の思考の波がヒタヒタと寄せているのである。国連大学が本質的に各国の研究者から構成されているということ、これがこの「文化の問題」を研究するのにいかに好条件であるか。各国その母国の人は外国人には不可能なほど、母国の文化の問題に深く入ってゆける。だから研究は深いところでなされ得る。こうして文化相互の根源的な理解に到ったとき、それは直ちに国際間の討議の展開に反映されるであろう。単なる主張・非難・応酬、そんなものはもう沢山だ。われわれは世界の人々と本質的な理解や合意を持ちたいのである。一つ補足を述べる。国際問題をいかに論理的に処理するかを研究する際、やはり直接政治に関係せず、学問の立場を貫き通す配慮が必要であろうと思う。しかし具体的問題に接253