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概要

satoh

第3回佳作氏が例のノーベル賞を貰われた仕事は、終戦後食糧事情の悪いとき、餓をまざらわしてされたもの七あったという.普通なら空腹で、創造的な仕事などする気にならないであろう。その剛の朝永氏にしてこの言である。また竹内氏にしてもその種の神話が伝わっている。だから欧米人というのは論理を貫こうとすれば、猛烈な勢でそれができる人種なのであるOその彼等が科学以外の問題に論理を持って来ないのは、それが習わしになっていて、彼等の思考体系からすると、\どうしてもそうなってしまうのであろう-こう考えざるを得ない。私はこの点、欧米人は自然に対するのと、対人関係とでは違う原理をもっているのではないかと思う。対自然のとき、彼等はもちろん、合理の精神・自然科学の精神である。しかし対人関係においては、まず主張をすること、というのが原理になっているのではなかろうか。「主張は美徳」の原理とでも言おうか。それは次のように推測される。彼等は車の事故を起こしても、"Ⅰ'm sorry"と言ってはいけないのだそうである.たとえ自分が悪くても、という。これはわれわれの感覚ではないな、と思っていると、法律でも「不抗争は有罪」といって、「自分は悪くないと思うけれども、裁判の結果には従う」などという態度では有罪になると規定されていると知らされた。そういえば、「時効」というのも欧米の法律で入って来た規定で、金を貸して長期間催促しないのは、「権利の上にあぐらをかいているから、保護に値しない」ということでよろしくない態度だという。要するに主張しなければダメなのである。言うまでもなく、主張したこと・イコール・事実関係ではない。自然科学の精神はあくまでも、事実の尊重であるから、明らかに「主張は美徳」は自然科学の精神ではない。欧米人は対自然と対人とで、別の原理を使い分けている、というのではなかろうか。この点、日本人には、本来「主張は美徳」の精神がない。「和を以て貴Lとなす」以来そうだし、西洋人のやり方には応々、違和感をもつ.小塩節氏がこんなことを書いておられた(中公'82年5月、「日欧摩擦をいかに生きるか」)0「ある国際会議の模様が全欧にテレビ中継された。EC代表たちが、あることないこと日本の悪口の言いたい放題をしゃべ251