ブックタイトルsatoh

ページ
134/1034

このページは satoh の電子ブックに掲載されている134ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

satoh

限り、先進国の保護貿易主義は今後も世界経済の危機構造の有力な要因として存在し続けることになる。先進諸国による保護貿易主義が表面化してきた背景には1970年代を通じて進行してきた各国経済のスタグフレーションの状態によるところが大きい。第2次世界大戦後、各欧米諸国の経済復興とその世界貿易の骨組みは、アメリカを中心とした先進諸国間の必要性を反映したものであった。その過程では、先進諸国にとって自国の経済成長の拡大が主要課題であって、開発途上国の世界貿易に占める地位・役割については十分な注意を払う必要はなかった。経済復興後の各先進諸国の著しい経済発展を背景に1960年代に入りGATT (関税と貿易に関する一般協定)の作業が本格化Lより自由な貿易体制のルール作りが行なわれた。しかし当時のGATTの作業も基本的には先進諸国間の互恵主義に基づく関税譲許を進めていく作業であった。その間、開発途上国は工業産品能力がないため仮に最恵国ベースで貿易が自由化されたとしても何らメリットを受ける状態にはなかった。一方この時期の経済高度成長により先進諸国の産業構造矛盾は表面化することはなく、資源の安定供給の下拡大傾向が続いた。しかし、1970年代に入り第1次石油危機を誘因にインフレが急速に進み、経済成長にかげりが出て、労働生産性が低下し、徐々に各国の産業構造の違いと世界貿易に対する適応力の差が先進諸国間で産呈し始めた。そして1970年代後半より、それぞれの先進国に内包されていた矛盾構造の度合に従い、工業産品輸出を可能にしてきた開発途上国に対し、先進諸国は保護貿易措置を講ずることとなった。保護貿易主義が先進諸国に於いて台頭し始めた土壌には具体的には以下の諸点が指摘出来る。ィ.1970年代を通じて続いた高率のインフレにより、設備投資不足が続き、設備の老朽化を招いた結果、商品の国際競争力が落ちてきた。ロ.労働人口の構造変化を主因として、特定産業の労働生産性が伸び悩んだ。-.インフレによる賃金上昇圧力が強まり各国で行なわれた高福祉負担に伴う慢性的財132