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概要

satoh

下した。大戦後、植民地から解放されたアジア、アフリカなどの南の国々は、民族自立を基盤に政治・経済・社会・文化などさまざまな分野で北の先進国群を追ったが、経済面での格差が特に顕著になり、一爆発的な人口増加もあって、全般的に生活水準が低下している.一九九〇年をエポックとして、この構造は大きく転回したが、兆しは、見えていたにせよ、これ程早く、これ程根幹的とは、誰も予想しえなかったであろう0第一の事件は、ヨーロッパにおける共産主義国家の崩壊である。ベルリンの壁は取り除かれ、東西のドイツは統合された。東欧の共産主義専制君主や官僚は放逐された。経済的疲弊に哨ぐソ連邦では、ついで共産党が禁止され、軍事力が削減され、西側諸国からの援助が要請されている。ソ連邦の変質は、いずれアジアの共産主義国家や、ソ連邦から援助を受けていた南の国に大きな影響を与えることとなろう。変質の基本的原因は、政治的自由と生活的水準に関する国民の欲求と、共産主義管理体制との激突であり、その調整の破綻であろう。二十世紀の世界を長くにわたって覆った輝しきコミニズムと共産主義体制は、自ら崩壊し、人々の信頼を失い、失望させた。もう一つの大きな事件は、イラクによる湾岸戦争であった。この事件についての世界的歴史の位置づけはいずれ明確にされようが、宗教的民族国家が、国外からの援助を期待して、高度の軍事力を駆使して長期の交戦を行ない、結果として鎮圧されたと理解されよう。ここでは、宗教性、民族性の濃い国家や権力は対立しやすい体質を有すること、内政の問題の外部化は、失敗の場合の内政上の傷の深いこと、世界的交流条件である石油資源などの流通-の影響が少なかったことなどが指摘される。基本的には、世界的交流の潮流のなかでは、軍事力による独自性の主張は、困難であることが明確に理解されることとなった。共産主義体制の破綻と湾岸戦争の結末は、世界の政治の潮流に大きな変化を与えよう。1010