ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

核拡散問題の始まり核拡散問題とは別段、新しい問題ではない。振り返れば核拡散防止の努力は、米国が1946年6月に軍縮問題諮問機関であった国連原子力委員会に提出したバルーク案に始まる。バルーク案は原子力の開発及び利用に関する一切の事項を管理する国際原子力開発機関を設置した上、有効な管理の下に原爆の生産停止・既存原爆の廃棄などを実施することを主な目的として、大国の拒否権を認めないものとした。しかし、米国の核独占を強調する色彩が強いことから、ソ連が同案を拒否、結局バルーク案は核兵器の貯蔵廃棄の管理問題で行き詰ったまま、1955年に廃棄されてしまった。このバルーク案の失敗は核の非公開時代を導くこととなった。再度核管理問題が脚光を浴びるのは、1953年12月にアイゼンハウアー米大統領が行った「原子力の平和利用」計画の呼びかけによってである。この計画は、各国の核技術促進のため、米国の援助を軍事目的に使わないことを誓った全ての国に、その援助を与えることを約束したものであった。また、危機的な状況にない地域に技術的援助を与える代わりに、そうした区別の維持に役立つ国際基準及び国際機関の発達を促すというのが、この計画の基本的考えにあり、この考え方が後に1957年のIAEA(国際原子力機関)の設立という形で具体化される結果となる。1このIAEAの設立及びその活動は、協定を締結した各国への保障措置を通じ、核拡散防止に大きな役割を果たしている。保障措置(いわゆる核査察)とは、原子力の利用にあたりウランやプルトニウムのような核物質等が、軍事的な目的を助長するような方法で利用されないことを確保するための措置である。現在ではIAEAによる包括的保障措置2を受け入れている協定締約国は148カ国(2005年12月現在)を数えている。さて、このアイゼンハウアー大統領の呼びかけが呼び水となって、西欧では1957年に欧州原子力共同体が設立され、次々と原子力発電は実用化されていった。こういった状況下において徐々に持ち上がってきた問題がN番目国問題である。同問題は、「GNPの0.5%を研究開発費に投資し、自動車工業を持つ国は、数年で核兵器を作れるであろう」という4641ハーバード核研究グループ(永井陽之助監修、久我豊雄訳)『核兵器との共存』(TBSブリタニカ、1984年)345-346ページ。2国内全ての核物質について保障措置を受け入れるという制度。