ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

フェルミが1942年末に最初の原子炉運転に成功した後、シカゴではノーベル賞受賞者ウィグナーらの指導で“ニュー・パイル”セミナーが催された。そこで、ウィグナーは燃料体に「液体」しかも「熔融弗化物塩」を大いに支持した。弟子のアービン・ワインバーグは、戦後ウィグナーともに米国オークリッジ研究所を育てつつ、「熔融塩炉」開発を指導した。日本も含め各国で液体核燃料炉の研究がなされた中で圧倒的に成功したのがこの「熔融塩炉」であるが、1976年に政治的に予算が打ち切られた。「加速器増殖」の方も、カナダのチョークリバー研究所が物理学的基盤つくりに成功したが、同じ頃に予算を打ち切られている。それらの実用化の可能性を大いに高めたのが、核燃料増殖施設AMSB(1980年)および熔融塩原発FUJI(1985年)による“トリウム熔融塩核エネルギー協働システム構想”提案である。その後、華やかではないが国内外の研究者の協力および有力な指導者たちの支援推奨を受けつつ育つてきた。開発経過の詳細は文献に委ねるほかはないが、少し補足すると、国内では、1981年に茅誠司・西堀栄三郎・伏見康治・斉藤信房・山本寛その他の諸先生方の「トリウム学術委員会」、自民党超派閥の議員懇話会、経団連や土光敏夫氏の尽力をえたが、時期尚早であった。仏電力庁から高速増殖炉が完成した1987年末に、「2号機を作れば破産。熔融塩炉の共同研究を」と招待されたが、1998年の増殖炉廃棄決定以前であったから、10年先行し過ぎたといえる。旧ソ連から1983年に共同開発提案をうけたがまだ尚早であり、その後ロシア・ベラルーシ・チェコ・トルコなどから多大の研究協力をえた。1995年、露最高の核開発機関技術物理研究所[シベリア西端]からminiFUJIの共同建設が提案され、日・米・露三国共同開発計画会議を持ち所内に建設予定地も内定している(露政府も認知)。米国とは1974年頃より日米熔融塩炉共同研究を始め、オークリッジ研の歴代所長や研究者から多大の協力をえている。1992年には大統領科学技術補佐官アラン・ブロムリから理解と激励を、1997年には次の補佐官ジョン・ギボンズより三国共同開発への理解を428