ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

よって上記の対決の構図は拡大し、中国、ASEAN諸国(特に国境を接するタイの影響が大きい)、西側諸国が応援する「三派連合」対、ソ連、東欧ブロックが応援するベトナム軍、ヘン・サムリン軍という形になっていった55。このように、カンボジアの内戦は、冷戦期の西側陣営と東側陣営の代理戦争という面をもっており、このパトロンを介する歴史事情は、UNTACが活動する上で中立性の標榜が重要となった大きな要因であると考えられる。そもそも、パリ協定が成立しえた背景には、冷戦の終結とともにカンボジアを取り巻く上記のような外的要因が変化したことがある。冷戦の終焉によって生じた新たな世界秩序の下で、中越関係は改善され、ソ連と西側諸国の対立も終了した。冷戦終了後の東西デタントの中でソ連がカンプチア人民共和国(プノンペン政権、1990年にカンボジア国となる)への援助を停止し、さらにベトナムのプノンペン政権離れが進む。また、ポル・ポト派の後見人であった中国も1989年6月の天安門事件以降悪化の一途をたどっていた西側諸国との関係改善を要したことからポル・ポト派支援を打ち切る。日本とASEAN諸国の粘り強い交渉が、中国、ベトナムといった各派のパトロンをカンボジアから引かせることができたのは、冷戦終結に伴う上のような事情が存したことに拠る部分が大きい。だからこそ、各派パトロンが手を引かざるを得なかったそのような事情の下で活動を始めたUNTACにとって、中立性という価値が果たす役割は大きかった。パトロン諸国が手を引いた後を担うUNTACが中立だと認識されることは、各パトロンが手を引く上での大義名分として必須の条件であったのだ。例えば第一章でみたポル・ポト派の協定違反への対応に関して、UNTACがポル・ポト派への全面対決の姿勢を見せれば、中国はカンボジアのベトナム化だと反発していただろう。この頃中国はポル・ポト派による協定違反や中国人PKO要員の殺害によってクメール・ルージュと不和にはなっていたが、それでもUNTACがポル・ポト派に対決姿勢をとればそれは即ちプノンペン政権を全面的に認めることとなるから、中国として黙って引くわけにはいかなかったろう。中国、ベト37055熊岡路矢『カンボジア最前線』(岩波書店、1993年)pp.168-175