ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

しかし、神経質なほどに紛争当事者や域外勢力からの中立性を標榜したその姿勢を、安易にこれからのPKO活動の指針として一般化することには慎重でなければならない。UNTACの活動では、中立性の外観を維持することが現実的に合理的であった個別事情も存在したと考えられるからである。そこで次に、本章では、UNTACの活動において中立性の外観を維持することが重要であった個別事情を検討する。そこから、中立性を標榜することがUNTACの成功のかぎとなったのはなぜなのか、中立性原則の持つ弱点は何か、さらにはPKO活動において中立性が絶対的価値をもつのかという点まで射程を広げて考察したい。3―A中立性の外観維持が奏効した理由UNTACの活動において中立性を標榜し続けることが重要であった理由は、大きく分けて三つ考えられる。第一にカンボジア紛争における各会派のパトロンとなった国々の動向、第二にシアヌークの存在、そして第三にパリ和平協定の存在である。以下、各々を見ていく。1パトロンの動向まず、カンボジアにおける紛争解決過程を分析するのに欠かせぬ視点として、カンボジア各派を取り巻く各国の思惑と事情が挙げられる。簡単にカンボジア独立後の流れとパトロンとの関係を見てみよう。カンボジア独立後1953年から1970年まで政権を担ったシアヌーク派、ベトナム戦争を巡ってやや反米に流れたが、基本路線としては全方位的な中立外交を繰り広げた。その後米国の支援を受けてベトナム戦争の最中の1970年にロン・ノル将軍がクーデターを決行し、クメール共和国を樹立する。ロン・ノル将軍はその後米国に亡命したが、その親米共和派の流れはソン・サン派に受け継がれた。また、ポル・ポト派は当初親米ロン・ノル368