ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

メール・ルージュに対して十分に強固な態度を取らなかったと考えたからである」と述べている9。一方で、平和維持活動である以上、その大原則である中立性をUNTACが安易に放棄できる選択肢を持っていたとは考えにくい。では、そのような中立性の揺らぎに対してUNTACはどう対応したのか。以下、1-B、1-Cでは、UNTACの中立性が揺らぐ具体的場面とその際の対応を詳しく見ていくこととする。1-Bポル・ポト派への対応1UNTACの活動の前提となるパリ協定は、カンボジア4派全てで合意したものである。しかし、パリ協定に定められた武装解除を行う停戦の第2段階へ入ると、ポル・ポト派はそれを拒否し始めた。その名目上の理由はベトナム兵がまだカンボジア内に残存しているからだとか、UNTACによるプノンペン政権に対する行政管理が不十分だとかいうことにあった10。しかし、ベトナム兵残留問題はいくらUNTACが調査してもその証拠となるようなものは得られなかった11。また、パリ協定の危機だとして日本とポル・ポト派に親しいタイによる懸命の共同調停工作が行われたにも関わらず、ポル・ポト派は譲歩せず、何の成果もうまなかった。これらから、ポル・ポト派には歩み寄りの姿勢が全くないことが次第に明らかになっていく。実際、ポル・ポト派がパリ協定に署名したのは、UNTACがプノンペン政権の行政機関を監督し、さらにそれを弱体化させられるのではないかという期待と思惑からであったから、その思惑が外れればポル・ポト派が脱落するのは無理もないことではあった。しかし、パリ協定に署名している以上、協定違反を繰り返すポル・ポト派の主張は説得力を失っていき、UNTACは次第にポル・ポト派への強硬姿勢を採るようになる。1992年9月22日にはポル・ポト派の資金源であった原木の輸出停止がSNCによって採択され、ついで宝石の輸出も禁止された12。同年11月30日にはポル・3509 Janet E. Heininger, Peacekeeping in Transition : The United Nations in Cambodia (New York : The Twenty CenturyFund Press, 1994), p.13710明石、前掲書p.5011 UNTAC軍事部門はこの問題を調べる戦略調査チーム(Strategic Investigation Teams, SIT)を設け、ベトナム国境を中心に計10箇所の検問所を設置して調べたが、SITの調べでは1993年1月の段階でベトナム軍に属する兵士は発見されず、同5月までに、カンボジア女性と結婚したベトナム人兵士ら7人の存在が確認された。もともとプノンペン政権は親ベトナム、他の紛争3派は反ベトナム色が強く、プノンペン政権は調査に非協力的であったため、UNTACの検証能力に疑問も残ってはいる。水本和実「UNTACの成果と新生カンボジアの課題」広島市立大学広島平和研究所編『人道危機と国際介入』(有信堂2003年)、p.18612クメール・ルージュはタイ軍を通じて木材や宝石の原石を密輸出し、その資金で武器を密輸入していたと言われる。