ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

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概要

佐藤栄作 受賞論文集

第19回奨励賞の存在そのものが従来の国際社会・国際政治の常識外・範疇外にあるという結論に達せざるをえない。アルカイダとはいったい何者だったのか?その存在を私達はどのように理解すべきなのか?事件から既に一年半もの月日が経過していながら、答らしい答は見つかっていない。勿論、彼等が「国際テロリスト集団」であることは間違いない。しかし、それはあくまで手段による分類であり、世界を股にかけて殺傷行為・破壊行為を継続的に行う犯罪者集団であるという、言わば犯罪学的な定義でしかない。それだけで終ってしまえば、例えばアサシン団のような秘密殺人結社や日本赤軍のような世界革命武装グループと区別することも出来なくなる。アメリカのマフィアや日本の暴力団、さらにはCIAやKGBもそれに近いことをやってきたはずである。宗教団体ではないのだから「イスラム原理主義集団」というのもおかしい。いくら「狂信的」という形容詞を付けても同じである。彼等は軍事集団・テロリスト集団である以前に特定の政治的な主義・主張を持つ政治集団(政治主体)である。テロがあくまで目的達成の手段として選ばれたにすぎないと考えれば、彼等の本質を理解する為に必要なのは適切な政治用語であり、政治学的な定義である。テロの残虐さ・卑劣さばかりに目を奪われてはいけない。発想の転換こそ必要である。アルカイダからテロリズムあるいはテロ行為を除去した時、そこに何が残るのかを私達は真面目に考えなければならない。完全に合法でなければいけないわけでもない。例えば、ホワイトハウスの前で大統領の人形や星条旗を焼くとか、また電波ジャック等で自分達の主張を訴えるとか、さらには(かなり際どいが)自由の女神像にセスナ機で体当たりするくらいのところで止めておけば、「国際テロリスト集団」とまで呼ばれることもなかっただろう。テロ行為と単なる犯罪との差異は、そこに一定の(政治的)主張が含まれるか否かである。逆に政治的パフォーマンスの延長上にテロリズムがあると考えれば、合法的なテロと257