ブックタイトル佐藤栄作 受賞論文集

ページ
1042/1096

このページは 佐藤栄作 受賞論文集 の電子ブックに掲載されている1042ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

佐藤栄作 受賞論文集

連軍」も実際は米軍指揮下の反共同盟軍に過ぎなかった2。このように安全保障理事会が機能する必要最低条件であった大国間の協調が非現実的極まる夢物語となる中で、苦慮の末案出されたのがPKOであった。このPKOが、個別的自衛権、集団的自衛権が幅を利かせる時代の中で冷戦下の集団安全保障体制の中心を担っていくことになる。PKOは冷戦期と冷戦後で大きく性格が変化すると言われるが、伝統的な(第一世代の)PKOは1956年のスエズ動乱の際に設置された第1次国連緊急隊(UNEFI)に遡る。イギリス・フランスという五大国の一角がエジプトを空爆するという事態のもと、従来の安全保障理事会体制は有効な手段を打てない中、国連事務総長のハマーショルドとカナダ外相ピアソンによって考案されたのがこの第1次国連緊急隊であり、特にイスラエルとエジプト間の敵対行為の停止を確保し監視する任務を任された。これが後にPKOと呼ばれ同様の実績が積まれて発展していくのだが、この伝統的なPKOは国連憲章が想定していたような軍事的措置に訴える国連軍とは性格が全く異なり、紛争の解決には直接的に関係しない。その任務は「合意原則」(当事者全ての同意に基づかない限り派遣されない)・「中立原則」(PKO自体が中立を損ね交戦主体に成り下がってはいけない)・「自衛原則」(必要最低限の武装を行い、先制攻撃を避ける)の三原則によって貫かれ、平和を強制することではなくまさに維持することこそが求められていたといえる3。冷戦期には国際連合コンゴ活動(ONUC)を例外としてこの三原則が厳守されていたが、冷戦後に集団安全保障体制は質量共に大きく変化することとなった。冷戦が終結したことで五大国の協調が有り得ないことではなくなり、安保理において常任理事国の合意が得られやすくなったことに加え、希望的観測から国連の平和への役割に期待が高まったことがPKOの量の増加に直結したが、これまで東西対立の中で抑えられてきた民族あるいは宗教上の違いに起因する紛争(多くは内戦)が増加したことにより質的にも大きく集団安全保障体制は変化せざるを得なくなった4。一般にこれらアイデンティティーを巡る紛争では相手に最低限の合理性も想定できないため、紛争は完全なゼロサム状況になり、悲惨な結果を生むことが多い5。しかも内戦においてはPKOの合意原則を満たすべき主体10402中山(1996)34-35頁3本段落では石塚(2004)4-6頁を参照した。なお、三原則は筆者の言葉で定義した。4中山(2002)73頁5藤原(2007)189頁