ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

ましい事は言うまでもないからである。3)難民をめぐるアポリア最近、国際機関が介入した地域紛争においてよく耳にするもののひとつに、難民の送還をめぐる問題がある。しかしながら、紛争が一次的に沈静化するとすぐに難民を原住地に送還することが無条件で良いとは考えられない。紛争地域における民族間対立が根本的に解決していなければ、以前と同様のあるいは攻守ところを変えた衝突が繰り返される危険性が高いことは停戦後にコソボに帰還したアルバニア系住民とセルビア系住民の対立が再燃していることをみても明らかである。コソボで多数派の地位を回復したアルバニア人によってセルビア系住民が逆の民族浄化の犠牲になり難民化しない保証はないのである。したがって難民の現住地への帰還は紛争地域において対立する集団間の根本的対立原因が消滅している場合か、対立集団問の摩擦を未然に封じ込められる強力な治安維持組織が確立されている揚合に眼定されねばならない。ここでもまた歴史的教訓が想起される。ユダヤ人に民族的郷土を与えるという第1次大戦中のバルフォア宣言に基づき、英国は1920年代から委任統治下にあったパレスチナにユダヤ移民の受け入れを開始した。ある意味でこれは2000年前にローマ人によって故国を追われたユダヤ難民を本国に送還したといえるかもしれない。しかしパレスチナに政治的権利を主張するアラブ人集団と、同じ地に民族的郷土建設をめざすシオニスト・ユダヤ移民の間の根本的対立点を調整しなかった英国の場当たり的政策は20世紀最長の地域紛争を招来してしまった。英国のパレスチナ委任統治は結局パレスチナ・アラブ人、ユダヤ人双方の過激派によるテロを抑制できなくなった時点で事実上終了し、英国は成立間もない国際連合に問題を譲り渡してパレスチナから撤退したのであった。そして引き続き起こった第1次中東戦争の結果100万以上のパレスチナ・アラブ人が難民としてヨルダンを中心とする周辺諸国に流入し、中東和平の進展を阻害する要因になっている。難民キャンプに暮らすこれらのパレスチナ・アラブ人は既に第二第三世代に入り、難民状態が恒常化してしまっている。この事例は、対立集団間の根本的問題が解決されないかぎりある難民集団(この場合はユダヤ移民)を送還す876