ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

第16回最優秀賞(17)S/RES/733(1992), 23 January 1992, preamble para.4.(18)S/RES/794(1992), 3 December 1992, preamble para.3.(19)UNITAFによって治安が回復して人道的危機が改善したこと、また、首都モガディシュ以外のキスマイヨやバイドアでは治安が回復したり武装解除が成功したりしたことなどが挙げられる(マッツ・バーダル「PKOは出口のない迷路に入り込んでしまったのか」『外交フォーラム』通巻第78号、1995年3月、17ページ)。(20)『朝日新聞』1999年2月1日、朝刊。(21)大泉氏は、この「PKO派遣の一方で続けられた国民的和解へむけての政治的交渉に成果があがらなかったこと」を、当事者が停戦を破ったこと、紛争当事者のUNOSOMⅠへの同意・協力の問題、人道援助物資が襲撃の対象となったことと共に、UNOSOMⅠが直面した難題として挙げている(大泉、前掲論文、82-83ページ)。一方、サヌーン特使は、対話による平和的解決を模索していた。特に、伝統的に調停者としての地位が確立しているといわれる長老や、派閥指導者達の説得を根気強く行っていた。しかし、そのサヌーン特使が1992年11月にSRSGを辞任してからは、その調停活動は中断された。サヌーン特使本人は、辞任表明の中で、任期中、国連の官僚体側との間での経験が厳しいものであったことを認めている(Sahnoun,op.cit., p.41)。また、サヌーン特使が半年あまりで辞任した背景には、彼がPKO増員のためにアイディード将軍に対して慎重な説得を行っていた一方で、国連本部が将軍の意向に構わず派遣決定を発表するなど、国連本部との間で協力関係がうまく機能していなかったという指摘がある(福田菊「国連による平和維持の理想と現実」『国際間題』第404号、1993年11月、8ページ、及び国境なき医師団、前掲書、176ページ)。このサヌーン特使による調停の突然の中断によって、ソマリアでは、国連が方針を変えてソマリアに武力行使することになったとの噂が流れ、国連側が否定するという混乱があったとも指摘されている(神余、前掲書、80-81ページ)。(22)アディスアベバ合意は、1993年3月、国連の仲介のもと、アイディード将軍、ア785