ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

廃棄し、軍事予算も削減する必要にかられた。多大な資金を要するこれらの政策の上に、3700万人という人員が国防関連産業で働いているソ連では輸出規制と軍備予算の大幅削減は即時的な困窮をもたらした。これに対する西側の援助も遅れ、結果的にやむを得ず兵器輸出で糊口をしのぐことになったのである。冷戦崩壊後においてゴルバチョフに取って代わったエリツィンも、基本的に西側とは協調体制を存続せざるを得なかった。しかし国連の意向に沿って中東、ペルシャ湾への輪出を規制する政策に対し、ゴルバチョフ政権末期の兵器輸出縮小がロシアに多大な損失をまねいたという声が主流だったのである。そのような情勢により、もともと輸出規制信奉者ではないエリツィンも外貨獲得のために兵器輸出を増大するとの政策転換に踏み切った。最低限規制しなければならない懸念国への輸出は自粛するにしても、輸出による経済的効果を得るため、冷戦期のようなイデオロギー的輸出政策とは異なるあらゆる地域への輸出が意識されはじめたのである。その動きは西側のロシアへの支援が停滞した92年後半頃から具体化した。経済の悪化が進む中で、兵器輸出への積極的な行動が取られ、対イランやイスラエル、トルコ、マレーシア、中国などと言った多角的な輸出活動がなされたのである。しかし兵器輸出に関する組織の混乱などの要因があり、92年の兵器輸出は結局前年比の2分の1以下にとどまった。冷戦崩壊後のロシアにおいて、武器輸出を統括する機関の所在ははっきりしなかった。そのような状況で大統領令による方針が出され、軍需産業界は実質的に一部の地域を除いて独自に軍需品を輸出できるようになった。そのため小規模企業から個人営業まで武器輸出に携わるものが多数現れ、世界情勢に疎く禁輸国にまで輸出するものや、濃縮ウランのようなものまで輸出する事態が起き、秩序と統制がとれなくなっていった。このような問題により、93年にようやく武器輸出の統制をとる機関が輸出公団として設立された。概観してみると、ロシアは西側との協調に応じなければならない一方で、厳しさを増す経済状況を打開するために兵器輸出増大化政策に逆行せざるを得ず、貿易相手国を血眼になって求めているという構図が浮かび上がる。特に国内の軍需の減少と懸念国に対する国706