ブックタイトル佐藤栄作論文集9~16

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概要

佐藤栄作論文集9~16

第10回奨励賞ていかなければならないであろうし、当分の間国連は小規模の事務所を維持して国連プレゼンスを絶やさないほうがいいと私は考える。[C]ソマリアソマリアはアフリカの角の最東端の国であり、紅海の入り口のバベルマンデブ海峡に近いという戦略的に極めて重要な地域に位置する。69年に軍の無血クーデターで誕生したシアド・バーレ独裁政権は当初は旧ソ連に接近して軍事援助を受け、ソマリアはエチオピアのソマリア人居住地域を併合しようと軍事行動に出たが、ソ連が帝制を倒して社会主義国となったエチオピアについたため試みは完全に挫折した。二百万といわれる難民を抱えたバーレは今度はアメリカに接近して国の立て直しを図ったが、ソ連の脅威が減少するにつれ援助の額も低くなり、干ばつによる飢饉もあって国民の不満は増大した。破局の最大の原因はバ-レが「ソマリア人」という国民の意識と自覚を確立できなかったことだろう。もともと彼等は部族意識のほうがはるかに強く、バーレも大ソマリア主義の失敗後は自分の出身部族に特権を与え、他の部族の伝統的なシステムを攻撃する以外に何の策も講じなかったのである。反政府運動は次第に激化し、政府は少なくとも八派に分かれた部族ごとの武装勢力との内戦に突入せざるを得なかった。結局90年の末にバーレ政権は崩壊したが、武装勢力同士の戦闘はその後も長く続き、皺寄せかんがいはすべて一般市民に押し寄せた。干ばつがさらに悪化する中、灌漑用水路が破壊され、農民たちが戦場に駆り出されたため収穫が激減し、残り少ない食物を武装勢力が強制的に徴用したので国民の半数以上が飢餓に追い込まれたのである。国連とその専門機関は政府の崩壊直後人員を首都のモガディシュから引き上げ、市民の救助と医療活動を赤十字社、国境なき医師団などの非政府組織(NGO)に任せきりにし、各方面から非難を浴びた。結局91年の末まで国連は何も行動を起こさず、翌年の3月に停戦に漕ぎ着けたが、一時は各勢力が停戦を受けいれない場合救援物資は送らないという一般人を無視したにわかには信じ難い方針だった。しかし、ムハンマド・サーヌーンというアルジェリア人の外交官が国連の全権に任命された後、彼が最大勢力であり国連に最も195