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概要

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を形成することになる。開発教育とは、一口で言えば、このような意識化のプロセス全体に他ならないと言える。さて、もう少しこの意識化conscientizationの概念について掘り下げて考えてみたいと患う。この概念を教育の問題と結びつけて、更に開発の問題にもふれながら発展させたのは、ブラジル出身の教育学者・哲学者パオロ・フレーレである。彼は現代に見られる教育の在り方を二つに類型化する。育」と呼ばれているものである。一方は彼が「銀行型教育」と呼ぶもの、他方は「課題提起教注9)前者の「銀行型教育」`thebanking'conceptofeducationの概念では、教育は預金行為にたとえられる。つまり、そこでは、生徒が金庫で教師が預金者である。教師は、交流●●●■■communicationのかわり忙コミュニケCommuniqu占Sを発し、預金をする.生徒はそれを辛抱づよく受け入れ、暗記し、復唱する。ここで生徒に許される行動範囲は、せいぜい琵10)預金を受け入れ、ファイルし貯えることぐらいである。つまり、教師が語りかける主体であるとするなら、生徒は忍耐強く耳を傾ける主体ということにそれぞれの存在が規定されてしまっており,従ってこのような教育は、慢性的に、一方的に語りかけるという病に脂ってしまっている、とフレーレは指摘Lている。つまり、知識の一方通行ということで、そこには互いに関与するparticipateということが全く見られない。だから、先生たちは■■●●■■●●生徒たちに関与しないし、従って生徒たちは先生たちからつめこまれた知識に関与するこ●●●■■ともしないだろう。ことばをかえれば、生徒たちは教えられたことの真の意味や意義を理解することはなく、ただの文句として記録、反復、暗記しているだけなのであるOこれでは創造性も批判力もない、順応的で管理されやすい存在に生徒たちがなっても別に不思議ではない、とフレーレは言う.彼はこのような教育の在り方は、「世界を解明したいとも思わなければ、それが変革されるのをみたいとも思わない抑圧者の利益に仕えるものである」と厳しく批判する。銀行型教育の根本的な誤りはそれが現実に関与しないことである。このことは低開発社会における被抑圧者の立場を考える時に明確になってくる。銀行88注9)PaoloFREIRE."pedagogiadooprimido"注10)ibid.