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概要

satoh

「最近の世界秩序の急激な変化に際して国連のあり方はいかにあるべきか。また、このような状況下で、国連大学はどのような役割を果たしたらよいか」先崎健序-はじめにそれまでは脇役にあまんじていた者が、幕があらたまるのにともなって、急に主役に浮上することがある。つい昨日までは、遠景にあってかすんでみえていた物が、天候の変動によって、くっきりとその姿をあらわすことがある。現在のいわゆる湾岸危機は、これまでの国際連合を脇役から主役-、そして、遠景から近景-とよみがえらせるものとなった。これは、直接には、1989年12月、米ソ両首脳によってマルタ会談で東西命数体制の終駕が高らかに宣言されるとともに、国際舞台での米ソ両国の協調的な姿勢があらたな展開をみせる基盤ができあがったこと、その結果生じた国際秩序の空白に、国連が平和秩序の担い手としてクローズアップされることになったという事情による。しかし、こうした国連の復権、威信回復は何も湾岸危機にはじまったことではない。国連の役割の見直しという動きは、実は、もう少し以前から存在していたのである。1988年に、世界各地で泥沼化していた地域紛争が、国連の仲介により、話し合いで解決へ向かう動きが一斉に出てきたのである。それまでの9年間、東西対立の最大の象徴となってきたアフガニスタン紛争は、 4月14日、国連仲介によるジュネーブ間接交渉で和平-の合意文書が署名され、 5月15日からは推定11万5,000人の同国駐留ソ連軍の撤退が開始された。デクエヤル国連事務総長やその特使を務めたコルドべス事務次長のねぼり強い調850