ブックタイトルsatoh

ページ
792/1034

このページは satoh の電子ブックに掲載されている792ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

satoh

やはり、「合理的に客観的と考えられる事実」は存在すると考えるのが妥当である。例えば歴史的経緯の大枠や,紛争の過程で双方が行った戦闘行為の内容、紛争地域の民族別人口比などはこれに当たるだろう。現在世界を揺るがしているイラクのクウユーt侵攻にしても、1961年にイギリスの保護領からクウェートが独立した直後に、すでにイラクは「クウェートはイラクの一部分である」と宣言しているという歴史的事実がある。この間題は当時安全保障理事会で取り上げられたが、結局イラクで政変が起き、新政権がクウェートの独立を認めたため、一応「解決」されたことになって今日に至ったわけである.これは十分に「合理的に客観的と考えられる事実」である。にもかかわらず、西側のマスコミはこの事実を余り報道していなかったように私は思う。もちろん私はここでイラクの弁護をしようと言うのではないが、イラクが隣国を侵攻するに至った政治的・歴史的必然性の中に、上のような「事実」も含まれているわけである。「有権的な事実の摘示」という言葉のもとに私が国連大学に期待したいことは、紛争の起こった際に紛争に関する「合理的に客観的な事実」の「なるべく完全な」リストを公表することである。ここで「なるべく完全な」というのは、事実の公表価値について主観的な判断をなるべくはさまないという意味である。もちろん、この際一切の判断、論評は加えないものとする。さらに、「有権的」というのはとりあえずは「国連」という「ブランド」のもとにおける信憩睦のある見解というほどの意味である。いろいろと批判はあるにせよ、「国連」という名は国際社会における強力な権威であり、-研究機関が公表する歴史的経緯に関する「事実」と国連大学のそれはインパクトにおいて大きな差があると考えるのが当然である。このような一種の「権威」を、私は「有権的」と表現したいのである。私は将来は国連大学の公表する事実が例えば国際司法裁判所等における国際紛争解決の過程において「当事者が抗弁、もしくは反証しない限り」紛争解決の基礎となる事実認定として採用される、そういった意味で「有権的」になれば良いと思っているが、おそらく790