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概要

satoh

第5回佳作求に囚われた時であった、と思う。つまり(「働くべし!」という)私の文化が命令する所に応えようとした時、このインドネシアの文化が私の前に立ちはだかったために憤慨したのである。私は正にこの時、私自身の文化と異文化の板挟みの中にいた。その状況は串の窓を切る風にたとえることができよう。車の中も車の外も風一つないのに、走る車の窓際は猛烈夜風が吹いている。私はそのように私に敵対的ともなり得る異文化そのものを研究しに来ていたのだった。狭間に生じる乱蝶を回避できなくてどうして研究を続けることができよう。「郷に入っては郷に従え」である.忍従に努めるのは人類学者の義務であるO技術指導、ビジネス、外交、宣教といった任務を帯びてやってきた人々はこの問題をどう扱ったらいいのか。本社からの命令と現地のしきたりの間で多くの駐在員が苦しんでいる。リスクが大きいような場合にはそこに発生する緊張も強くなろう。もしその緊張から逃れたければ東京側に顔を向けるか、現地側に顔を向けるかを選ばなければならない。そしてもし前者を選べば現地側からの反発は覚悟せねばならない。もし後者を選べば「南方ボケ」なるレッテルを覚悟しなければならない。8.提言以上の如き困難にもかかわらず、文化相対主義の洗礼を受け、自分の文化というフィルターを通して見える波長だけで異文化を判断する白民族中心主義の狭小な世界から自らを解き放つよう私は人々に要請したいOたとえ、レッドフィールドが述懐したように.全き文化相対主義に達することができなかったとしても、限りなく文化相対主義の理想に近づく意識的な努力を人々に要請したい。オモテには必ずウラがあり、ウヲには必ずオモチがあるというのは文化とて同じであるO既に示したように、好ましくないと思う面のウラには、もし寛容に、また他の文化要素との関連で見ようとすれば、必ずや好ましいと感ずる面が見えてくるだろう。このレッ占15