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概要

satoh

第5回佳作主人はやっと出かける支度を始めたのである。「定刻だからといって会場になっている個人の家を訪れても(主以外に)誰もいないとLたら(その主に)何か特別な用事があるように思われるかもしれないし、それに一人だけ"突き出た"(ジャワ語でnonjolという)ようではばつが悪い。だから皆が集まった頃を見計らって出掛けるのだ」とある人は言った。私はジャワ人が"突き出た"という言葉をよく使うことにずっと以前から気が付いていた。たとえば、貴族の血を引く人だから当然称号を名乗ってもいいのにそれを名前に書き添えない人がいる。その理由は「民主主義のこの時代にH突き出た"ようだから」という。人目につくのを恐れる心理は謙譲の精神(ジャワ語でandhap asorというが、いずれも「低い」という意味である)に通じるものであり、日本語と同じように尊敬語や謙譲語が発達したジャワ語の精神にも繋がるものである。こうして見れば、約束の時間に遅れるというネガティブな習性(ジャワ人白身も少なくとも言葉の上ではこの「ゴムの時間」を好ましいとは思っていない)もジャワの「美徳」と結び付いていることになる。7.困難ところで、実は文化相対主義的理解には個々の困難が付きまとっている。根本的にはレッドフィールドが述懐するように、文化相対主義の立場に立つ人類学者白身も経験する困難がある。彼は「未開世界の変貌」の最終ページでこう述べている、「私の中では人間と人類学者がきっぱり別れていないようだ。私は、人間性に関する科学的研究ではそう分けることが可能だと考えたものだった。いま、私はそうできなかったと白状するに至る。そして、実際そうすることは不可能だと考えるものである。 ・4や私は、私が見て理解する人間の行動はしばしば価値づけをもって見られていたのだ、と考える次第である。それら人間の行為で、私の好むものもあれば好まぬものもある。これこそが私の理解法なのだ」(レッドフィールド、1978年、179頁)0占13