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概要

satoh

「時間に厳格ではない」のはインドネシア語で「ゴムの時間(jam karet)」といい.当のインドネシア人自身もこの習慣を認めている。「時は金なり」をモットーとする仕事人間にはどうにも我慢できない習慣である.しかし「時刻表」に束縛されない人々にとってはいらいらしたり、憤怒の種にはならないO「ゴムの時間」の背景には何があるのだろうか。私は謙譲の精神があると考えている。村で調査している時のこと、村長の家で会議が行われたことがあった。会議の開催は数日前にもう村の人々に告示されていた。村で会議が行われることは滅多にない。どのように会議が進められるのか、果たして誰がどんな発言をするのか、私は大きな関心を持った。議題が特に深刻なものではないこともあって村長は簡単に傍聴を許可してくれた。会議は夕方の7時に始まることになっていた。私はほぼ定刻に村長宅を訪れ、会議が始まるのを待った。ところが10分たっても15分たっても誰も来ない。最初の村人が現れたのはなんと7時を30分も過ぎてからであった。村長の命令で彼の使用人がクトンガン(木のドラムで、日本の板木〔バンギ〕と同じく、これを叩いて村人に何かの出来事を知らせる道具)を何度も叩いていた.会議がようやく始まったのは8時半をはるかに過ぎてからだった。町の「隣組会」やアリサン(日本の「講」と同じようなもの)にしても同じである。ある晩のアリサンも7時開会の予定だったが、始まったのは8時24分だった。私のフィールド・ノートには「8時8分現在、30人程の人が集まったが一向に始まる気配はない。人々は思い思い隣合った同士でお喋りするなどLていらいらした様子の人は一人もいない。この人たちにとって時間とは何だろうか」と書いてある.なぜ人々は定刻に遅れるのだろうか。私にはこんな経験がある。ある家で雑談していた時のことだ。私と話していた主人が小学生の息子に「『隣組会』に何人位の人が集まっているか見てこい」と命じた0 2、 3分して戻ると「まだ4、 5人しかいない」と彼は告げた。それを聞いて辞去しようとした私を主人は引き止めて言った「『隣組会』が始まるまでまだ時間があるさ」。しばらくしてまた息子がやってきて「始まりそうだよ」と告げた。占12