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概要

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序元総理大臣、故佐藤栄作先生は、皆様がご存知のとおり、昭和三十九年から八年間に亙る総理大臣在任の間は勿論のこと、その前後を通じまして、常々世界の平和と繁栄に一方ならず心血を注いでおられました。昭和町十四年に、放り・タント国連事務総長が真の意味での国際的な大学の創設を提案されましたが、それから約四年を経た昭利四十八年十二月に、世界各国の祝福と期待を受けて「国連大学憲章」が国連総会で採決され、国連大学の設立が正式に決まりました。国連大学は日本政府の強い支持を受け、大学は日本の首都圏に設置されることとなり、昭和五十年九月には東京Ii柴谷に暫定本部を設けて活動を開始いたしまLた.そLでこの度、東京の文化.経済の中心地の一つである青山に新しく立派な大学の施設も完成して、益々幅広い貴重な活動をする運びとなりました。これもひとえに先生の強い先見性と指導九そして日本の力強いバックアップがあったからこそであります。先生は、御退官の後、それまでの長年にわたるご努力が認められて、ノーベル平和賞を受賞されました。賞を受けられた先生は、ノーベル賞に添えられた賞金を、是非何か世界の平和と繁栄のために有効に役立てて賞の趣旨を活かしたいとお考えになり、どうすれば良いか色々と検討を重ねられました。中でも、出来たばかりの国連大学の活動に資するような使い方はないものかと、真剣に思案されたと伺っております。先生はかつて昭和三十三年から三十五年まで、二年余に亙って大蔵大臣をお勤めになったことがありますが、その当時大蔵省の国際関係の総括責任者であった故西原直廉さん(当時の肩書は大蔵省財務参事官で当財団の初代理事長)と、大臣秘書官として国際的な問題についてお手伝いをしていた私を、ある日晩餐に招かれ、賞金の活用について具体的な案をまとめるようにと指示されました。しかし不幸にもそれから旬日の後、先生は突然の病に倒れられ、再び私共にお元気なお姿をお見せになることもなく、昭和五十年六月三日、逝去されました。先生の御遺志を呈し、そのノーベル平和賞の賃金を基金として設立されましたのが、「佐藤栄作記念国連大学協賛財団」であります。