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概要

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都市の衰退とは上記の第3段階を示し、アメリカやイギリスの都市は既にこの傾向を示しているO日本ではまだ例が無いが、経済成長の鈍化とともに、今後都市の衰退が顕著になる可静陸は十分有ると言えよう。しかし、ここで注意を要するのは工業化社会から情報化社会-の過渡期である現在、人口や商工業指標などの工業化社会のメルクマールで見た場合、数字の低下はむしろ当然であると受けとめる必要があることである。特に、世界で例を見ない程短期間に、人口や経済機能が集中Lた日本の大都市圏においては、人口や商工業桔梗の停滞を好ましい現象として受けとめ、都市施設や都市基盤の整備に力を払い、「快適に住める都市」-と都市の目標を転換させるとともに、来るべき情報化社会の中で果たすべき新しい都市のあり方を構成することが要求されていると言えよう。その為には、分権化の視座から日本の都市を再検討する必要があると私は考えたい。なぜならば、日本が西欧の経済水準に追いつくことを目標としていた高度経済成長時代には、中央集権型の社会システムが効率的であった。しかし、国民の価値観が多様化し、社会の目標が明確に定まらないこれからの社会においては、性質の異なった複数の都市が、互いに補充しながら併存することが望まれるからである。特に、後述するように都市を文化都市として発展させる場合は、異質の都市が刺激を与えあうことが必要であることは言うまでもない。ところで、アメリカは分権型、フランスは集権型の国と言われるが、日本の場合は集権と分権が併存する国であると私は考えたい.つまり、国内に複数の核がある点では分権型であるが、それらの核を合わせると国内を集権的に統合する力を有する性質を持つ。歴史的に見ても、現在のような首都への一点集中型の体制は、古代を除けば明治以降のみで認められるにすぎないのである。このような考え方の下で、508