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概要

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まず第-に考えられるのは、初等教育の立ち遅れであろう。先進諸国が既に前世紀に達成した公教育及び義務教育の定着が遅れ未整備なままに発展してきた点にある。第二に、リテラシー率の低い国々に共通してみられる児童の低い就学率であるOこれは義務教育認識の低さ忙加えて、多くの家庭では経済的圧迫のために児童を労働-と駆りたてるのであり、産業革命期イギリスの未就学児童のシチュエーションと類似している。いわば経済面における貧困が、本来児童の学習にあてられる時間帯を労働力-転換させるのである。第三に、アジア地域における著しい人口増加現象との相関を考察しなければならない.ユネスコ年鑑によると、アジア地域も全世界的趨勢同様、初等教育施設、就学児童数は漸増している。しかしながら圧倒的な人口増加率の前には、児童の就学率は及ばず、相対的にリテラシー率の低下へとつながるo特にこの現象は、アジアーの文盲率を占めるインドに典型的にみられる。アジアにおける経済的発展の遅れ、教育環境の水準の低さに伴う低いリテラシー環境は、近代化-の大きな妨げとなり壁となり立ちはだかっているのである。リテラシーが近代化の大きな下地になっていることは、既に先進諸国が歴史的に経験ずみであるOたとえばいち早く産業革命をおこした当時のイギリスにおいて既にリテラシーは高3)い水準にあった。公教育以前のイギリスには慈善学校(charityschool)、日曜学校(Sundayschool)といった多大な私立学校の存在、並びに独学の読者(self-madereader)にみられる大衆側からのモウテイブに基づくリテラシー-の関心があり、大衆-の識字学習は浸透していた。国家の増大する商業活動、海外貿易の発展が、商人クラスに取りひきする為に、帳簿をつけるために、法律書を解釈するためにリテラシーを要求した。いわば資本制生産様式の発展が、この期のイギリスを、 (iliterate-nation)- (literate-nation)に移行させつつあったといえる.同様に我国における明治以降の著しい経済発展も、その下地としての高いリテラシー率があったことを示唆していよう。江戸期における商業都市での寺子屋の著しい普及は活版印刷の技術の高さ、木版本の広い流通と相まってリテラシーを広めるのに大いに貢献Lたと考えられる。初期のリテラシーの高まりと経済的発展との4)相関関係は既に指摘されているように密接なものである。42注3)この時期のイギリスには既に70% (成人男子)に達する高い17テラシー水準があった.Stone,LawT・eTtCe"LiteracyandEdlCatiDninEnglBr)d 1640-1900"Past良PresentNo.42 (1969) p.121往4)PhiliT)良,H.M. Op.cit.,pp,31-3230-50%のIiteraCy率が経済的発展の発端とみなされ、90%以上では消費括動に貢献すると指摘している。