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概要

satoh

することは研究を進める上に必要であろう。そのときどういう方法をとるか。一つのやり方は、現代の具体例をとり上げず、国際連盟時代の評価の定まった問題を新Lh目で再研究することである。これについては後に述べる.もう一つは現在の例をとり上げても、たえず第一原理から出発して、できるだけ論理的に批判してゆくことである。これは判断の尺度の公正を保ち、従って研究の公正を保ち得るであろう。しかし、とり上げる問題によって、最初から批判される側はあるわけで、それはそのElにとって面白くなく、国連大学はあらぬ中傷を受ける怖れがある。そこで私はむしろ、さしさわりのない旧日本の例などをも具体例として研究することをすすめる。そのような古い問題からも、有用なことは幾つも得られる。例えば、旧日本に戦争をさせないためには、どうすればよかったかの研究など。いま、合理の立場に立って見直せば、日本側と連合国側が、問題点を徹底的に討議すべきであったことがまず挙げられるであろう。その討議とは非難・応酬ではなく、問題点解決のための研究者の態度である。具体的問題として、連合国側からは、中国撤兵、滴洲の自決などが出されよう。それは道理であるから日本は抗弁する根拠がないのに気付くであろう。しかし日本も、連合国側に植民地解放を迫ることができる。連合国側は同じくこれに反論する根拠がない筈である。だから戦争をしなくても、ここまでいかなければいけなかったのである。それが不可能でなかったことは、現状が物語るではないか。「いや戦争がなければ今日の状態はあり得なかった」と多くの人は言うに違いない。そのような人には、戦争という高い授業料が何であったかを再び問わねばならぬ。そういう人が植民地を放すのが惜しくて、あるいは中国撤兵が残念で、財産を失ったり、命を捨てたり、不具になったりしたい、というのはその人達の勝手である。しかし多くの人々を巻添えにするのが、どうして許されようか。愚しさの歌を、懲りもせずにいつまでも歌いつづけるというのか。旧日本の問題はこれだけの問題を含んでいる.それは今E]の問題に直接通ずる.だから私は、合理の精神を問い直す試金石として、旧日本の問題は研究に値すると思うのであるOもっとも、われわれはいま.こんな難問に直面している訳ではない.そこで、国連大学254