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概要

satoh

りまくっていた。日本代表は、初めは受けこたえしていたのだがついに腹を立て、ブイと横を向いてタバコを口にくわえ、終りまでロをきかなかった。一見恰好いい姿ではあった。放送の終りに司会者が言った。『皆さん、どらんのように、日本代表は抗弁もなく全面容認をなさいましたo欧州側の主張がすべて正しいと認められたわけです。では、これをもって一時間半のテレビ討論を終ります』。私は見ていて、とび上るほど驚いた。冗談じやない」。 -これは、ドイツ人の心をよく知っておられる小塩氏も、やはり「主張は糞徳」の原理でなく、「自然科学の精神」のみを基準としておられることを表白されたものではなかろうか、と思う。日本人が「二つの原理」でなく、「一つの原理」でしか動かない、ということはいろいろな形になって現れる。最近亡くなられた湯川秀樹氏が、わが国最高の知性であったことに異論はないであろうが、氏は晩年、世界連邦会長として努力されたのであった。他の外国人ノーベル賞受賞者がこんな形で、自然科学の精神と国際間題とを融合させようとしないとき、やはり氏の行き方は日本人であると思う。あるいはわれわれは、西郷南洲が「正道を踏み国家を以て架るるの精神なくば、外国交際は全かる可からず」と言っていると知ってノ、ッとする。内村鑑三は「代表的日本人」の中でこの南洲のことを「彼の生命は言ふ迄もなく、彼の国さへも、正義にまきりて貴重ではなかった」と解説する。このような種類の発言をするのは、やはり外国人ではなく、日本人なのだろうと私は思う。私は日本人を、改めて「一つの原理」から見直す必要があるだろう、と思っている。レ1ままで単に批判の対象として見ていたようなことでも、某は「一つの原理」が長所として見え隠れになっているのではなかろうか。例えば丸山貞男氏の「日本の思想」には、かつて東大で教鞭をとってVlたE・レーデラーが在日中ショックを受けたこととして、難波大助の摂政官狙撃事件(虎ノ門事件)後の責任のとり方が紹介されている。内閣は総辞職L、警視総監から道すじの警固に当った警官にいたる一連の「責任者」の系列が懲戒免官となっただけでなく、大助の父は直ちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って-252