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概要

satoh

隊は「防衛」「解放」「治安維持」のためだけに、つまりは「平和」と「安全」のためだけに存在し、活動するのである。では、公然たる「侵略」(と当事者も考えているような行為)のない地上に残された「防衛的」軍事力は、なぜ拡張されるのであろうか。軍事力は本来「破壊」をするためのものであり、破壊の原状回復をするものではない。「破壊」に対抗するといっても、実際に行うのは「報復」 (相手にも被害を与える)であり「威圧」(被害を与えるぞ、と脅す)による抑止である。軍事力は本質的に非生産的・破壊的なものであり、 (戦争に勝てば巨額の賠償金のとれた時代はともかく)全く割の合わない投資対象である。ところが、兵器の発達が進み、核武器すら実際に使われ得るような現代では、いかなる国家も自らの軍備を安全を保障するのに充分なものとは考えることができなくなっている。軍拡はこうした不安を一時的に和らげる麻薬であるが、その結果はより巌しい焦燥感と経済負担の増大でしかない。こうした自国の軍備-の不安と、近隣国(仮想敵国)-の疑心暗鬼が、「防衛的」軍拡を生む、というのが歴史を通じて見られる普遍的な軍拡・戦争-の道である。理想主義に立つならば、「あらゆる軍備の即時全廃」が主張されるべきであるかもしれないoLかし現実的に、自衛権という国家の権利を尊重しつつ、軍縮-の道を歩むためには、軍備に対する適正規模についての議論が必要であろう.「大砲とバター」のどちらに優先順位を置くかは内政問題であるかもしれない。しかし「大砲のみ」の政策によって国民の生活が為政者の犠牲となっているとすれば、これは人権問題である。特に第三世界において、軍人や政治家だけが「適正」規模を語る状況を打破するためには、責に適正なガイドラインを国連大学のような機関の研究が提示することで、無告の民の利益を守る必要がある。軍縮による余剰資金が生活的な投資や、福祉に回されることは、第三世界の経済全体にとっても、大きな好影響を与えることになろう。海外から様々な人的援助と経済援助を受け、軍事援助も受け、なけなしの外貨を武器輸入に費し、国民は飢え、戦場となる国土は荒廃し、戦は勝ちも負けもなく続き、ゲリラ戦と残酷な復讐戦が繰り返される。戦争こそ230